« 相模川の鯉のぼり | トップページ | アオリイカ釣りデビュー »

クリエイター

週末、ごろごろテレビを見ていた。

日本vsインドでCM制作対決する番組だった。

日本チームの監督の名前は忘れたが、彼の10年来の誼で俳優の伊勢谷友介が演出を担当。制作期間5日間、制作費用50万という限られた中で、監督のコンセプトに沿って、作品は完成されたかに見えた。しかし、残り1日となったところで監督が一言。

”もっといいアイデアを思い付いちゃったんですよね。”

再びスタッフが集められ、監督の思いが伝えられるが、そこには監督の思いを受け入れ新たなCMづくりに前向きに取り組むクリエイター達の姿が映し出される。

そこで、伊勢谷友介のコメント。

”最初の作品、あれはあれでどこに出しても恥ずかしくない代物。ビジネスとして考えたら作り直しはしないでしょう。コストも労力もかかるしね。でも我々クリエイターは、よりいいものになる可能性がある限り、それを実行しなければならない。お金とか時間とかではなく、世の中をよくするために。それがクリエーターの使命だから。”

的なことをいうわけです。

”めっちゃカッコいいじゃん”

私の心を見透かしてか、妻の一言(同時に私は舌打ちしてましたが。男は素直じゃない)。

一方、今日は会社でとある大学の先生を招いての講演会。ホストの一人として、私もその後の懇親会に出席。

昨今の大学の研究成果の特許化について伺ってみた。

”「知財」という言葉がありますよね。「知」とは本来教え伝えていくものであり、基本的には公にしてシェアするもの。一方、「財」とは独り占めするものでしょう?そもそも矛盾しているんです。特許化することで、学生は研究成果を発表できなくなる。それって教育現場でいかがなものでしょう。”

”例えば、戦場に行けば敵を殺すことが正しいとされる。でも私はそうしたくない、だったらはじめから戦場になど行かないようあらゆる手を尽くさなければならない。”

”特許化を目的として研究をしていたら、いつか学生に糾弾されるのではないか、私はそんな気がするんです。”

的なことをおっしゃるわけです。

たまたま、先生と帰る方向が同じで、先日見たテレビ番組について話をしました。企業研究員として、忘れていた何かを気づかされる思いがしたと。

先生はおっしゃいました。

”私もああは言いましたが。生命はこれまであらゆる過酷な環境にさらされ、今日生き残っている種は、頑固一徹ではなくある程度フレキシビリティを持った者たちです。”

葛藤や迷いはあります。でも、現実を受け入れながら、時には自分の言葉で”熱く語る”ことができなきゃ!

なんて、ちょっといい言葉が気にとまったので、ほろ酔い気分で書いています。

« 相模川の鯉のぼり | トップページ | アオリイカ釣りデビュー »

ノンジャンル」カテゴリの記事

コメント

特許があるから「知」が外に出てきやすくなるとも言えるな。外に出てくるから受け継がれるようになる。

会社の研究に関してはそうかもしれないが、大学の場合は論文で公開すればいいことじゃないかな。特許は維持するにもお金がかかるし。
ノーベル賞を受賞された鈴木章先生の反応がここまで広く一般化されたのは、特許化しなかったためとも言われている。

ああ、すまん。初めから大学の研究室での「特許化」の話をしていたんだ。独立行政法人化で、大学でも利益を上げることが推奨されている中、もし特許制度がなかったら、「本当に儲かる成果がでるまで、論文でも発表できないことがあるでしょう。特許があれば、発見が営業的成果に繋がる前に発表されるのではないか。要するに大学でも特許の制度がなければ、外に出てきていない研究が多くあるだろうと感じている(個人的統計?)ということです。
まあこんなことを書きますが、私はもちろん、純粋な研究者としては利益が上がらなくても成果はどんどん発表してほしい「鈴木先生スタイル」が好きですよ。

大学までもが利益を上げる応用研究に走ったら、基礎研究はだれがやるんでしょう?基礎研究の知見を利用し、それをもとに製品にするなり技術で世の中に還元するのは企業の仕事、と思っていますが。。。
大学側もグラントを得て生き残っていくためには”フレキシビリティ”が必要そうですね。

大学が取る大型予算は「応用に直結するような研究」に多く見られますね。そのうちのちょっとだけでも基礎研究に回してほしい。基礎研究は薄く、広く、響きは悪いがいわゆる「ばらまき」をした方が良いと思うんですがね。日本の科学政策は、ポスドク問題も含めていろいろ間違っていると思いますね。お金もない、優秀な人材も来ない、では日本の基礎科学の未来は決まったようなものです。

しかしCMクリエーターの使命が、「世の中を良くするため」ではないことは明白だろう。穿った意見過ぎるかもしれないが「如何に消費者を騙すか(その気にさせるか)」ではないか。そもそも「世の中を良くする」ってなんだよ〜。
なんて思っているから、まともな生活を送れないんですかね。

話がそれますがCM絡みで。
美味しくもないパック酒を「うまい!!」と言って呑む俳優ってどんな気持ちなんですかね。「これは実現無理だろう〜」っていう研究費の申請を「うまく」書くことを要請され、非常にストレスを感じる今日この頃です。

ここでいうクリエーターとは、何かものを生み出すという意味です。現に先述の伊勢谷友介は俳優のみならず、自ら映画も撮っている。
CMや映画で”世の中をよくする”なんて驕りだよ、と言うかもしれないが、せっかく何かを生み出すんならそういう心意気ってのも重要なんじゃないかな。
”世の中をよくする”定義は難しいが、それを見たり、使ったりした人が少しでも幸せな気分になってくれたら、それがなかった時より世の中はよくなったと言っていいんじゃないか?

お前のいうCM、すぐ目に浮かびます。そんなにうまいんならプライベートでも飲んでいるんだろうな?!って突っ込みたくなる?
まあ、それが俳優さんの仕事でしょう。お金もらっている以上、いろんな仕事があるだろうよ、きっと。でもその人が”嘘(?)”を言って生み出したブランドイメージによって、幸せな気分になっている人がいるかも。

自分の意に反する仕事に対し割り切れない気持ちはよくわかります。でも、そんな研究でもうまく“魅せる”トレーニングだと思ってやってみてはどうだろう。無駄になることなんて何もないはずだ。ひょっとしたら、その研究で幸せに感じる人がいるかも?

「人の役に立つことをしたい」という観点は、どうしても「上から目線」「ほどこし」的なことを感じてしまいます。
「医者になる動機」が「人の役に立ちたい」という時でさえ、私は上から目線を感じずにはいられません。
何かをやるときには、「ただやりたいからだ」と言えば良いのではないでしょうか?
同じこととして、スポーツ選手が「皆に感動を与えられるようなプレーをしたい」と言うことには、非常に強い違和感を覚えています。
なんでも「自分が単にやりたいからやっている」に過ぎないのだと思う。

この記事へのコメントは終了しました。

« 相模川の鯉のぼり | トップページ | アオリイカ釣りデビュー »

2019年9月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          
無料ブログはココログ